8/13/2015

反応のからくり







私たちが人生と呼んでいるもの 体験していることは

すべて「 関係性 」の上に成り立っている





人間関係  特に親密な関係性において出てくる過剰な反応

( エックハルトのいうペインボディ )は

「 関係性 」が見せてくれる 

最もわかりやすい エゴから生まれた現象である

反応し合っているのは お互いのエゴ意識

それがわからないでいると その関係性は

遅かれ早かれ崩壊する





内面で起きた反応に対して

相手にぶつけていくのではなく

自分自身の解放のチャンス また ものごとをありのままに受け入れる

プラクティスとしていくのだ






反応が教えてくれるものは

自分の抱いている強い思い込み  決めつけ  信念体系 

相手に対してだけでなく 自分自身にも課している

「 今 」に対する抵抗 

「 あるがままの状態 」に対する抵抗





このエゴ的反応を観察し

この反応のからくりに気づいていけば

「 バカげた争いのドラマ 」は終焉を迎える





Nothing reacts Nothing. 





無が無に反応している無意味さ 愚かさに気がつけば

かなり意識のシフトが起こる

つまり 幻想の人間関係から脱出するのだ



 


by Eckhart Tolle's messages






8/12/2015

アイデア・ノルマ






白熱電球 映写機 蓄音機といえば エジソン

特許数は世界で2位

世界最大の複合企業ゼネラル・エレクトリック;GEの前身を築いた





優れたアイデアは 自然発生的には生まれない

エジソンもこのことをよく理解し

自分にも部下たちにもアイデア・ノルマを課したという





エジソン自身のノルマは

◉10日ごとに小さな発明を一つ

◉半年ごとに大きな発明を一つ





人一倍多く考えることは

いいトレーニングになるだけでなく

問題の解決策への視野を広げる





問題1つに対して 50通りの解決策を考える

新しいアイデアを 少なくとも3つ考える

など ノルマを自分で決めて

複数の問題に対して 複数の解決策を考える習慣をつける




その多くはパッとしないかもしれない

最初にひらめいたものが一番いいとも限らない

しかし 問題解決には必ず複数の方法があるはずだ

それがわかると 

実践をもって 自分のものになる












決断





すべての運命は 

この瞬間 この決断によって創造される

与えられた環境によってではなく

自らの決断によってのみ形成される




足りないという欠乏感や

満たされないという空虚感に

たとえ 押しつぶされそうになったとしても

いま 受けとっている最善のものにフォーカスすれば

いま この瞬間が 

自分にとって 最大最高最善に満たされていると気づく

いつも制限しているのは 自分だと気づく

自分の中心は いつもやすらぎに包まれ

安心・安定感のある絶対的な存在である 




ここには 欠乏感も空虚感も何もない

いつも中心を全開に

自らの決断によって 情熱的に人生を築いていくだけ

その瞬間から 運命は永久に変わっていく
















悔いのない人生を




いまのこの人生を

 
もう一度

 
そっくりそのまま

 
くりかえしてもかまわない


という生き方をしてみよう










8/07/2015

生きた意見をもつ




生きた魚を手にするためには

自分で出かけて 実際に魚を釣り上げなければならない



自分の意見をもつためには

自ら動いて 考えを掘り下げ

ことばにするのだ



それは 魚の化石を買う人々よりましだ

自分の意見をもつことを面倒がる人々は

お金を出して ケースに入った化石を買う

この化石とは 他人の昔の意見のことだ



そして彼らは 買った意見を自分の信念としてしまう

そんな彼らの意見はいきいきとしておらず

いつまでたっても変わらない



けれども この世には

そういう人々が数多くいるのだ




8/06/2015

発見






発見は


ほかのみんなと同じものを見て


違うふうに考えることによって


生まれる




by  Albert von Szent-Györgyi Nagyrápolt
(ノーベル生理学・医学賞受賞)


8/05/2015

こころの層








坐禅は 奥深く何ものにも従事していない状態
 

それは瞑想ですらない
 

というのも 瞑想するときには
 

何かをしようとしているから
 



神聖なるもの  を思い起こしていたり
 

まさしく 自分自身を思い起こしたりする
 

そうした努力が さざ波をつくり出す



どんなところに座ってもいい
 

が 何を見るにせよ あまり刺激のあるものであってはならない
 

たとえば あまり動きの大きなものであってはならない
 

それらは注意を散漫にする
 



木々なら見てもいい
 

それなら問題にはならない
 

木々はその風景が一定しているから
 



空を見守るのもいい
 

あるいは ただ部屋の一隅に坐って 壁を見守るのもいい



とくになにかに注目してはならない
 

ただの空っぽの状態    というのも
 

そこに目があり 人は何かを見なくてはならないから
 



が とくに何かを見てはいない
 

なにかに焦点を合わせたり 集中したりしてはならない
 

ただ広がったひとつの像 それはたいそうくつろがせるもの
 



そして 呼吸をくつろがせるということ
 

それをやってはいけない それを起こらせるがいい
 

自然のままにしておくがいい
 

そうすれば さらにいっそうくつろぎをうむ



からだをできるだけ不動に保つこと
 

まず よい姿勢をみつけなさい
 

まくらやふとん 心地よく感じるならどんなものに坐ってもいい
 

だが いったん腰をすえたなら 不動のままでいなさい
 

からだが動かなければ こころは自動的に静まるから
 



からだが動けば こころも動き続ける
 

なぜなら 心身は二つのものではないから
 

それらは一体 ・・・・ ひとつのエネルギー



初めのうち それは少し難しく思えるだろう
 

が 2~3日たったら 途方もなくそれを楽しむだろう
 

まもなく
 

こころの層が 一層ずつはがれ落ちてゆくのがわかる
 




ただ 無心にそこにいる  

一瞬がやってくる





by OSHO ; 
Bhagwan Shree Rajneesh










頭のなかで





世の中には 守らなければならない法律やルールがある

みな慎重になるあまり さらに独自の枠を重ねている




そうした枠や制限が増えれば増えるほど

創造性はすりへっていき 新たなアイデアもなくなる




創造性とはルールを破ること  ともいえる

ただし 破っても意味のないものもある




ラスベガスのある大きなカジノでのこと

ディーラーが ルーレット台に球を1コ投げ入れた

しばらく回転したあと 球は7番で止まった

すると 台の横にいた男が「  ノー!  」とがっかりした声を上げ

ディーラーに10ドルを渡した

台で賭けていた客人ではなかったため

ディーラーは なぜ10ドルよこすのか と尋ねた




 すると男は 

「  頭の中で19番に10ドル賭けていたけれど 負けたから  」

と応えた

ディーラーはため息をつき 黙ってその10ドルを受け取った

その後も同じことがくり返された

男は毎回 頭の中で賭けをしては「  負けた!  」といって

ディーラーに10ドルを渡した




ところが 球が17番で止まったとき

男は突然 大きな歓声を上げた


「  やったー! 1万ドルだ! 17番に賭けてたんだ!!!  」 




ディーラーはもちろんジョークだと思っていた

ところが 男は大の大真面目

なんと そのカジノを訴えてしまった




男は法廷で主張した

「  負けたときは 頭の中での賭けを認めて

   金を受け取ったのだから 

   勝ったときも認めるべきだ!  」 




意外なことに 裁判長は 原告側の主張を認める判決を下した

しかし 判決には重要な追加項目があった




【  頭の中で行われた賭けを容認したカジノは 

   頭の中で 原告が得た儲けも支払う義務がある

   ただしそれは 頭の中の小切手で支払うものとする  】



暗黙の掟を破ってもあまり問題はない という教訓だ
















アイデア






人が 新しいアイデアを恐れる理由が


私には理解できない


古いアイデアのほうが 私は怖い





ーーージョン・ケージ(アーティスト)



8/04/2015

チャレンジャー





つい先日まで

格安航空会社 LCC は ” ホンモノ " の航空会社ではないと

鼻であしらわれる存在だった




業界でゆるぎない地位を保つ企業は 

たいてい従来の方法で稼ぐことに忙しいため

新たなビジネス・チャンスに気づかない




新しい試みは 新しいチャレンジャーの手に委ねられる



 

格安フライトを実現したライアンエアーは

今日では ヨーロッパでも数少ない利益の出る航空会社の一つである


 


とはいえ 競争は続いている

そんな中 ライアンエアーは新たな戦略を発表




【  無料の空の旅  】 だ




CEOが語ったところによると

無料の旅を提供する代わりに

乗客に 機内でスロット・マシンなどのゲーム機で遊んでもらい

利益を得るというモデルで

 

 【  空飛ぶラスベガス  】  をイメージしたという



 



なんと 発想豊かな戦略だろう
 

業界の常識を疑い しかも大きく破ってみる
 

チャレンジャーになること
 

それ自体が イノベーションの風を大きくするのだ
















8/03/2015

ユーモア戦略







子供は 一日に300回笑う

女性は 通常150回くらい 


といわれる




しかし この世の中はストレス社会

大人になると一日に20~30回しか笑わないそうだ




笑うことが健康にいいことは衆知の通りだが

日々の仕事 生活の中で
 

笑いの場面をあえて作ろうとしても そうはいかない




ある企業は「 笑い 」を経営戦略に取り入れ

大成功を収めている

この会社はユーモアがある人のみを採用




【  ユーモア戦略  】とは


1)おかしなことを考える


2)遊び心に満ちた態度をとる


3)最初に笑う人になる


4)その場にいる人と共に笑う


5)自分自身を笑う


6)仕事は真剣 自分は深刻にならない





【  笑う  】とは行動そのもの

【  歩く  】【  話す  】と同じ





おもしろいから笑うのではなく

笑うからおもしろくなる

意識してやれば習慣となる




【  ユーモア戦略  】で彩る人生もすてきだ





既存の知識を無視する




【  空想は 知識よりも大切だ  】

といったのは アインシュタイン

では 知識と創造性の違いはなんだろう




例えば スポーツを例にあげる

1968年まで 走り高跳びの跳び方には2通りあった



 
○ダイブ : 
腹を下にして 両手、頭、胴の順にバーを跳びこえる方法

○はさみ跳び : 
ハードル跳びのように片足を上げ もう片足で切るように跳びこえる方法



トップを競い合う選手たちは 跳び方に関するあらゆる情報をかき集めて

研究し競い合っていた



そこに彗星のように現れたのが フォスベリー

もとは医学生で 既存の知識に頼らずに 自らの頭で新機軸を考えた

ほかの選手より高く跳ぶには 同じスタイルで勝負してもダメだと

人体の構造を深く観察し 背中をバーに向けて跳ぶ 

○背面跳び   を編み出した



そして 秘密裏にトレーニングを重ね

1968年のメキシコ・オリンピックで見事 金メダルに輝いた

新しいアイデアの探求が 単に知識を身につけることに勝った瞬間だ




新しいインスピレーションが すべていい結果を生むとは限らない

なかには 禁止されることもあるだろう



しかし一方で 本当にいいアイデアも生まれる

そのためには いますでに知っていることを あえて無視することも必要だ




世の中は変化している

昔の常識は いまの非常識といわれる

探求者たちの新たな活躍舞台は 衆知の通りだ



 





8/02/2015

混ざらないものを混ぜる




レオナルド・ダ・ヴィンチは 混ざらないものを混ぜてみた

 

アートは 全く意外なところで 

何らかの模様や現象を見いだせる力があるかどうか

問われる

 

関連は いたるところにある

要は こうしたことに敏感になれるかどうか





ある男性は ミュージカル【 オペラ座の怪人 】の観劇中に

防犯用警報機の着想を得た

舞台効果の霧で 

俳優たちが ほとんど見えなくなってしまったことに注目し

霧を出す機械を改造すれば 防犯用に使えると考えた

つまり 泥棒に入られたとき 

へや全体に大量の煙を噴出させるのだ





完成に到るまでの道のりは長かっただろうが

新しい出来事に率直に反応し 

まったく意外なところでこたえが見つかったのだ





モールス信号を考案したモールスは

宿場で馬を交換する様子を見ていたとき

一定の距離を置いて 交換局を設置すれば 

信号を強化できるのではないかとひらめいた





人間の脳は ずっとかけ離れているもの同士でも

関連を見いだそうとする

いま取り組んでいる問題と まったく関係ないものをまず取り入れてみるのだ






卵1コ  と  PC   。。。など




意外な関連を見つける

これは 新しいアイデアに向けての創造性の促進剤となる

どんなにバカバカしくても ひるまず

現実味のあるアイデアにたどり着くまで 何回何十回でも練り直すこと

















よく考えるために






しっかりと考える人になりたいのであれば

最低でも 次の三条件が必要になる




人づきあいをする

本を読む

情熱をもつ



 
これらのうち どの一つを欠いても 

まともに考えることはできない



8/01/2015

夢の実現に責任を




そんなことに 責任をとろうとするのか

それよりも 自分の夢の実現に責任をとったらどうだろう

夢に責任をとれないほど 弱いのか

それとも 勇気が足りないのか

自分の中心に それを置いていないのか




あなたの夢以上に あなた自身であるものはない

夢の実現こそ あなたがもっている最大最高最善の力で

なすべきものではないのか

夢は 実現するためにここへやってきたのだ



こたえはほかにもある







アルバート・アインシュタインは あるとき

「 博士と私たちとの違いは何ですか? 」

と質問されて こう答えた




【  たとえば 干し草の山の中から 針をさがさなくてはならないとしよう

   あなた方は おそらく 針が1本見つかるまで探すだろう

   私は 針がすべて見つかるまで探すと思う  】




ある朝 アインシュタインが 教室で試験問題を配っていた

学生たちはみな テスト用紙を見て 戸惑ってしまった



「  教授 これは前と同じ問題ではないですか?  」

【  その通り  】

【  問題は同じだが 今回は こたえが違う  】





アインシュタインは いつも複数の答えを模索していた

それは 正しいアプローチである

何を行うにしても 必ず複数の〜正しい〜方法があるからだ




7/12/2015

世を超えて生きる








とらわれないこと

己に 人に 世に こころに



世にありながら 世を超えて生きよ

まずは 己の感情 感覚の動きを意識して

あちら こちらへと動じないこと




つまり 己の意識に敏感であれ

気づきをもたらし

己のこころにさえ遺っている

古い概念のかけらにも気づき 

己の全意識に 責任をもつこと




そうして 中庸の眼から

世の流れ 変化にいちいち惑わされなくなり

確固たる己の人生を

ありのままに 自由に歩むことができる





とらわれないこと

己に 人に 世に こころに










7/06/2015

四徳






自分自身と友人には いつも誠実であろう


異なるビジョンをもつ人には 勇気をもとう


苦悩の中にいる人には 寛容さをもとう


そして 常に礼儀を保とう












6/20/2015

方向を与える






偉大さとは 方向を与えること

どんな河も 自分自身によって大きく豊かなのではなく

多くの支流を受け入れて進むことによって そうなるのだ

あらゆる偉大なる精神についても同じことがいえる


肝心なのは

のちに 多くの支流が辿ることになる方向を示すこと





5/26/2015

一緒に





一緒に黙っていることはすてきだ

もっとすてきなのは 一緒に笑っていること




二人以上で 一緒にいて 

同じ体験をし ともに感動し

泣き笑いしながら 同じ時間を共に生きていくのは

とてもすばらしいこと











どうとらえるか




日々の小さな習慣が 慢性的な病気をつくる




同じように 日々おこる事柄に対して

否定的にとらえているか

肯定的にとらえているか

そのとらえかたによって

自分の魂を病気にしたり 健康にしたりする




日に10回 まわりの人に冷たいことばをあびせているなら

たった今から

日に10回 まわりの人を喜ばせるようにしたらどうか




過去にとらわれ 人を裁くのはなぜか

保身のため 自己正当化のため

あるいは 

見栄や体裁のため

正しい  ---  悪い と短絡的にジャッジする古い概念のかけらが

まだ残っているのだろうか




物事は起こるべくして起こる

そして 状況は日々変化している

すべてはとらえかたである
 



自分の魂を治療するには 

どんなときでも どんな状況でも

肯定的なとらえかたに変えていくのだ




すると まわりの人のこころも状況も

確実に好転していく



 

 

5/15/2015

愛 本質





すべての愛は必ず、自分を愛することから始まります。


愛の欠落がすべての問題の根源です。

そしてその原因はさほど遠くにはありません。

実は私たちひとりひとりの中にあります。




集団の状態によって影響をうけた、私たち個人の内側の状態が原因です。

人生のすべての努力はただ愛の追求にあります。

こどもの時に自分だけを誰かに愛してもらいたかったのに

そうではなくて、不幸せだったとしましょう。

その誰かに愛してほしいという対象は学校の先生、

自分の伴侶、自分のこどもへと続きます。

そして人生はただ待つというだけの連続した長いプロセスになります。




私たちは、しばしば、私たちが真実の愛と呼んでいるその愛を 、

自分の近い人や愛する人に求めて、試したりもします。

そして思うような結果が得られず怒ったり満足しなかったりします。

人々が愛と思っているものは、

ただ求めたり切望したり愛に飢えているだけです。

この愛を求めることが、私たちが考える愛です。

そして 結果はフラストレーションだったり、困惑や失望です。





私たちはそれぞれ内側にむなしさがあります。

このむなしさを埋めるために人間関係を使います。

人間関係に執着すると、人はいつも愛されたい

という思いにいつもさいなまれます。

この愛に執着するところには、

それを失いたくないというおそれが生まれます。

自分の自由もすべての人の自由も破壊してしまいます。

その恐れから生まれた行為が愛と呼ばれているのです

その真実は、人々が自分自身を愛せずにいて、

人間関係が自分自身を愛する手段になってしまっているのです。

人間関係を通して、自分を満たそうとします。




すべての愛は必ず、自分を愛することから始まります。

自分に対するように相手にも対するということを覚えてください。

それをよく考えることによって人は、自分が自分の内側とつながる

全く同じ方法で、人ともつながるということに気づきます。




もし誰かが、自分のすべての考え、言葉、行動を全否定したら、

ほかの人も全く同じように否定します。

もし自分自身の欠点に捕らわれて執着していたら、

ほかの人の欠点にもそのように攻撃します。

自分自身を攻めることをやめて自分自身をありのままに

受け入れることができれば、自分自身を愛することができます。




自分の中に平安がおこれば、すなわちそれは世界とも平安を築けます。

そして私たちは愛がこの宇宙のすべてだと気づきます。

それが私たちの本質です。




by Bahgavan

善と悪





悪とは何か
 
人をはずかしめること




人間的なこととは何か

どんな人にも恥ずかしい思いをさせないこと




自由とは何か

どんな行為をしても 自分に恥じない状態になること





公正




人の立場に 自分自身をおける人だけが
 


公正である


5/14/2015

シャープでどんくさく







シャープで スマートだけではいけない

どんくさいところも必要だ



 
切れるだけが かっこいいのではない

切れるだけだと

いつまでも「 まだまだ若い 」といわれて

どこか軽く見られてしまう

また すべて完璧にこなすことで 仕事の評価は上がるだろうが

冷たいイメージは倍増 何となく距離をおきたくなる

よって 

錆びも必要だ






シャープでありながら どんくさいところもあれば

愛嬌があって 人にも好かれ

誰かが手伝ってくれたり 味方になる余地もでてくる

なにより

切れるだけのときより ずっと得をすることになるのだ





こども

 

 

Children



Your children are not your children.
They are the sons and daughters of Life's longing for itself.
They come through you but not from you,
And though they are with you, yet they belong not to you.
You may give them your love but not your thoughts.
For they have their own thoughts.
You may house their bodies but not their souls,
For their souls dwell in the house of tomorrow, which you cannot visit, not even in your dreams.
You may strive to be like them, but seek not to make them like you.
For life goes not backward nor tarries with yesterday.
You are the bows from which your children as living arrows are sent forth.
The archer sees the mark upon the path of the infinite, and He bends you with His might that His arrows may go swift and far.
Let your bending in the archer's hand be for gladness;
For even as he loves the arrow that flies, so He loves also the bow that is stable.



 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *



こども




 
あなたの子どもは、あなたの子どもではない

自らを保つ 生命の願望

そこから生まれた息子や娘

それがあなたの子ども



 
あなたを通してくるが

あなたからではない

あなたと一緒にいるが

あなたのものではない





子どもに愛を注ぐがいい

しかし 考えは別

子どもには子どもの考えがあるから

あなたの家に 子どものからだを住まわせるがよい

しかし その魂は別

子どもの魂は 明日の家に住んでいて

あなたは夢のなかでさえ 立ち入ることはできない




 
子どものようになろうと努めるがいい

しかし 子どもをあなたのようにしようとしてはいけない

なぜなら 生命は後へ戻らず

昨日に留まっていないから



 
あなたは弓

その弓から 子どもは生きた矢となって放たれていく

射手は 無窮の道程にある的を見ながら

力強くあなたを引きしぼる

かれの矢が 早く遠くに飛んでいくために



 
あの射手に引きしぼられるとは

何と有難いことではないか

なぜなら 射手が とんで行く矢を愛しているなら

留まっている弓をも愛しているのだから






by Kahlil Gibran   





中立




すべての状況は中立でやってくる


それに意味を与えるのは 自分の考えである







5/13/2015

矜持をもて




孔雀は 人前でその麗しい尾をかくす

これは 孔雀の矜持といわれている




孔雀のような動物でもそうなのだから

わたしたちは 人間として

いっそうの慎みと矜持をもったほうがよいだろう








見かけだまし




道徳的なふるまいをする人が 真に道徳的であるとは限らない

道徳に服従しているだけかもしれないからだ

あるいは 自分ではなにも考えず

世間体のためだけに従っているのかもしれない

または 思い上がりから

それとも 無力であきらめているのか

めんどうだから あえて道徳的なふるまいをしているのかもしれない




つまり

道徳的な行為そのものが 道徳的だとみることはできない

道徳は その行為だけではホンモノかどうか

なかなかわからないのだ





 



5/12/2015

自分の眼で見る





富士山周辺の山々、湖はとても美しく

年間を通して 表情の豊かさに満ちあふれている

河口湖や西湖、精進湖エリアもすばらしい風景だ




それなのに 観光的な知識のおかげで

人々の眼は 富士山のみに注がれる

これでは、自分の眼を本当に楽しませることはできない




知識ではなく 

自分の眼が いまとらえている美しさを発見しよう

自分の足で旅をし

広々とした自然の中へ入り

からだ中で 清々しい自然美の恩寵を受け入れよう




自分の発見した美は

五感を通して からだの記憶に入りこみ

その感覚は精神的なものになり

あらゆる形で表現され 芸術化されてきた




自分の感覚を信頼し 新たな美を発見しよう

自然はいつでも 

私たちを やさしく受け入れてくれるのだから





 






存在の構造





すべては波動でできている

人間も動物も 車も 自然界のすべても




自分自身をもっと新しい状態にするには

いま この瞬間の喜びを通して

無限とのつながりを思い出すこと




可能な限り 

エネルギーに満ちた 肯定的な意識にチューニングして

愛と真心をもって表現すること




疑いや不安を外に投げかけると

疑いや不安に満ちた現実が 自分のまわりに引き寄せられる

後悔やフラストレーション、罪悪感がやってくる




実験してみよう




自分が与えたものは 自分に返ってくる

これは 人間世界のメカニズムの力学

純然たる 存在の構造である












4/25/2015

頭の中のおしゃべり




















自分の中のおしゃべり

頭の中のおしゃべりに気づいたことがあるだろうか?

まずは それに気づく必要がある




何時間もどっぷりと 

頭の中のおしゃべりにハマり込んでしまい

ごちゃごちゃになってはじめて気づくのではなく

そのおしゃべりの真最中に気づくのだ





さもなければ 気づかれることのないおしゃべりがずっと続く

そこにちょっとでもいいから気づくこと
 
そうなって初めて

本当の自分ではないその状態から

自由になりたいと思う自分が見えてくるのだ




エゴの6つのプレイ



 
















人間のエゴ(自我)の根本的な6つのプレイは

次の通り。





  支配しようとする

  支配されるのを拒む
 
  自分は正しい

  相手は間違っている

  自分を正当化するためにごまかす

  相手に罪の意識を感じさせようとする




4/24/2015

いつも機嫌よく生きるコツ





 
いつも機嫌よく生きていくコツは

人の助けになるか

誰かの役に立つことだ。




それによって

自分という存在の意味が実感され

純粋な喜びになる。



喜びの橋



 












愛とは

自分とは異なる人生で生きる人、

異なる感性をもつ人を

受け入れて喜ぶこと。




自分とよく似た人を愛するのではなく、

自分と対立して生きる人へ

喜びの橋を渡すことが愛だ。




ちがいを否定するのではなく

ちがいを愛するのだ。




自分自身でも同じこと

自分のなかにも 対立や矛盾がある。

愛は 

それらに対して反発することなく

むしろ 

対立や矛盾ゆえに 

それを受け入れ  喜ぶのだ。









勇気ある人


   

勇気ある人を動かすには、コツがある。

その行為が危険に満ちているとか、

かなり困難であることを告げればいい。

実際にはそれほど危険で困難でなくともだ。





 
すると、勇気ある人は、その行為が危険であるがゆえに、

自分が今動かなければ誰も動くまい 

という気持ちから動き出す。



 
人には、その行為や事柄がある程度困難であるがゆえにチャレンジする

という性質がある。

もし、最初から簡単であるとされていれば、失敗したときには言い訳が立たない。

困難な事柄に失敗した場合は、

その勇気を誉められるか、少なくともよく挑んだと慰められる。



4/19/2015

自分しか証人のない試練

自分を試練にかけよう

人知れず、自分しか証人のいない試練に



たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる

たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう

たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない



そうして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し

自分が気高い存在であることがわかったとき

人はホンモノの自尊心をもつことができる



これは、強力な自信を与えてくれる

これが自分への褒美となるのだ




4/15/2015

存在






自分以外のなにものでもない

存在でいようとすること





それは 

終わることのない困難な闘いである







【  e. e. cummings  】







4/12/2015

自分自身を愛する






いま、LINE等でつながっていないと落ち着かないという子ども達が多い。

facebookでも友達の数が表示され、

見知らぬ人へアプローチをして承認をもらい、

誰かと競っているかのように数が増えていく。

それを見て安心するという。



 

いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、

自分が危険な状態にいるという証拠だ。



 

本当の自分を探すために、誰かを求める。

自分をもっと相手にしてほしいから、友人を求める。

漠然とした安心を求めて誰かに頼る。

なぜ、そうなるのか。

孤独だから。

なぜ、孤独なのか。

自分のありのままを愛することがうまくいってないからだ。



 

しかし、インスタントな友人をいくら多く広く持ったとしても、

孤独の傷は癒されず、自分を愛するようにはなれない。

一時のごまかしにすぎない。


 


では、自分のありのままをどのように定義しているだろうか。

何をどれだけ受け入れて

何をどれだけ受け入れていないのだろうか。



 


長年の葛藤は、自己が存続するための隠れた戦略であることが多い。

それによって、長年私たちはずっと生かされてきた。

しかし、葛藤も執着も深く解放しようとするなら、

まずは、どんな自己も受け入れ

ひとつひとつ慈しみ、感謝して、愛するのだ。

そこに、パラドックスはある。

やがて、奇跡は起こる。




 
自分自身を本当に愛するためには、

内側の全てを受け入れ、

己の道を見つけ、

独立独歩自ら歩いていくのだ。

 



そこにはまだ苦痛がある。

しかしそれは、こころの筋肉を鍛える苦痛なのだ。