1/24/2008

感性を解き放つこと





いま巷で話題のスピリチュアル・メッセージでお馴染みの江原さんが、以前こういわれていた。


「人生はみな何のために生まれてくるのか?」

「それは感動と体験を積み重ねるため。」


アートでも同じようなことが云える。
制作はテーマに基づきプロセスを経て完成するが、完成した「作品」は大事だが、作品がアートではなく、それをつくるプロセスや発想にこそアートの価値があるように思う。
以前、子どもたちを教えていた時コンセプトとして重要視していたことは、自己決定と自己表現だ。



自己決定とは、何を描きたいか。 
何をテーマとし、何に感動し、何を描きたいのか。自分の心を大きく広げて心の眼で深くみつめ、素材とともに決めていく作業だ。
すべて解き放たれた感性の声を聞きながら自分ですべて決めていく。これは、子どもたちのみならず大人も同様。
子どもたちは身体で感じたことを身体で思いっきり表現する。本能に従っているからダイナミック、真っ白でやわらかい心が表れてくる。だからおもしろい。



自己表現とは、文字通り自分にしかできない、人とちがうやり方、表現だ。
自然の中の木々を同じ場所で見ても、感じ方は人それぞれちがう。天から降りてくるインスピレーションも違うはずだ。
心の声に従って、色、かたち、線を自由自在に描いてみよう。
このプロセスが貴重な体験となる。感じたことが紙、キャンバスに表れ、徐々に変化してゆく。身体で覚える。このプロセスに価値がある。大事なのは、なにかにとらわれないこと。なにかに気づき、発見してゆくこと。



目標意識の高い人は、向上したい故に悩み、とらわれやすいが、そのような人はまず「感性を解き放つこと」


その先にアート表現のおもしろさ、愉しさが待っていることを忘れてはいけない。
そのプロセスや発想にこそアートの本質的な価値があるのだから。

1/14/2008

むかしむかしの美術作品





 「 なぜ、むかしの美術作品にはハダカの作品が多いのか?... 」

以前 フランス語の先生からクラスで質問を受けたことがある
勿論 原語での説明は散々だったが 
あえて内容をご紹介しよう。




■”真実” 語源説

ギリシャ語で「真理」や「真実」を表すことばを「アレーティア」というが
これは「忘却」など表すことばに反対の意味を表す接頭語をつけたもの
つまり、ギリシャでは真実とは「隠されていないもの」という意味を持っていて
衣や装飾で肉体を隠さないことが絵画などでも推奨されていたと考えられている




■心身均衡説

キリスト教やイスラム、あるいは仏教でもそうだが
一般に世界の宗教は、”肉体” よりも ”霊魂” を重視する傾向がある

ところが、ギリシャでは「精神」と「身体」のバランスが重視され
心の強さや美しさを競い合うだけでなく
身体の強さや美しさを競い合う習慣が存在した
たとえば、オリンピックもその考え方を受け継いでいる

古代オリンピックでは、衣服をつけず
肉体の強さ、美しさを誇示していたようだ




■”あれはハダカではない” 説

英語には naked と nude ということばがあるが
ギリシャの彫刻や絵画に描かれる「ヌード」は
何も着ていない「ネイキッド」ではなく
特別な方式で描かれたものだから 
とくに恥ずかしいものでもなかったという説もある

それは西洋の伝統の中だけの話で
その外にいる私たちには十分恥ずかしいヌードだとは思うが
たとえばヨーロッパの街角で噴水などにヌード彫刻があっても
「いやらしい」と感じないのは、そういうことのようだ




何事もそうだが、文化的伝統についての説明は
単純なひとつの原因に帰することはできない
様々な要因が重なり合って生まれたものだと考えるのが適切だろう







1/04/2008

ART とは何か...




私がリスペクトする各作家の金言をご紹介しよう。それは生き方そのものであると思う。


●レオナルド・ダ・ヴィンチ
   あくなき厳密さ ( オスチナー トーリゴーレ )

●コロー
   芸術の美しさは、我々が自然から受ける第一印象に彩られた真実にある。

●アンドリュー・ワイエス
   自分は抽象画家だと思っている。リアリズムを通って強烈なロマンティックな空想をめぐらしている。

●マーク・ロスコ
   精神的な思考の共通性を目指すもの。人の内的世界にわき起こる空虚な思い、人間を超えた存在を感じるもの。

●ピカソ
   画家はあらゆる事象にいつも注意を傾けている、敏感な政治的な生きものである。   

●松村外次郎(彫刻家)
   思想家はみな破壊者であり、保守的な殻を破った人たちだが、大衆はついていった。それは社会性があったから。保守的、マンネリの中では思想は生まれません。芸術も同じである。

●安井曾太郎
   自分はあるものをあるがままに現したい。迫真的なものを描きたい。本当の自然そのものをキャンヴァスにはりつけたい。樹を描くとしたら、風が吹けば木の葉の音のする木を描きたいし、歩くことのできる道路を描きたい。車が通っている道を描くのだったら、車の通る道を描きたい。人の住むことのできる家、触れば冷たい川、湖水の深さまで現したい。人ならば、話し、動き、生活する人を描きたい。その人の性格、場合によっては職業までも十分現したい。
   (題材について)理想的、回顧的なものは排したい。そういうものは今の自分には画家の道楽のように見える。自分はどうしても現代の生活文化の中に取材したい。...つまり、自分は物質的に今の時代をそのまま写したいのだ。画室内の絵を外の景色や出来事の連続にしたいのだ。 -「私のリアリズム」より-

●浅井慎平
   画家は自分の心の中をくぐってきたものを描いてはじめて人を感動させることができる。
   

スケッチクラブ
























●北アルプス / 大出のつり橋から望む白馬連山
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現在、アート講座の講師を行なっています。

皆エネルギッシュで個性あふれる方ばかり....

まさしく体育系のクラスでおもしろおかしく展開しています。

デッサン、水彩、パステルと描き始めたら止まらない...

みな初心者なのですが、研究心にあふれ、

どんどんどんどん上手くなっています。

今度パステル講座が始まります。

楽しみ楽しみ.....。

この写真は昨年のスケッチツアー、北アルプスへ。

いろいろ行きましたねえーー。

ね、みな真剣でしょ!

ふくろう....福朗  福6  不苦労  梟  URAL OWL





あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろなことにチャレンジしながら

あちこちの壁にぶつかりつつ

走りっぱなしの1年でした。

今年はますます自然体で

周りの方々に感謝して

Only one を目指し

前半は全速力で

後半はマイペースで

前進していこうと思っています。

ふくろうのように .... 猛々しく、愛らしく。