坐禅は 奥深く何ものにも従事していない状態
それは瞑想ですらない
というのも 瞑想するときには
何かをしようとしているから
神聖なるもの を思い起こしていたり
まさしく 自分自身を思い起こしたりする
そうした努力が さざ波をつくり出す
どんなところに座ってもいい
が 何を見るにせよ あまり刺激のあるものであってはならない
たとえば あまり動きの大きなものであってはならない
それらは注意を散漫にする
木々なら見てもいい
それなら問題にはならない
木々はその風景が一定しているから
空を見守るのもいい
あるいは ただ部屋の一隅に坐って 壁を見守るのもいい
とくになにかに注目してはならない
ただの空っぽの状態 というのも
そこに目があり 人は何かを見なくてはならないから
が とくに何かを見てはいない
なにかに焦点を合わせたり 集中したりしてはならない
ただ広がったひとつの像 それはたいそうくつろがせるもの
そして 呼吸をくつろがせるということ
それをやってはいけない それを起こらせるがいい
自然のままにしておくがいい
そうすれば さらにいっそうくつろぎをうむ
からだをできるだけ不動に保つこと
まず よい姿勢をみつけなさい
まくらやふとん 心地よく感じるならどんなものに坐ってもいい
だが いったん腰をすえたなら 不動のままでいなさい
からだが動かなければ こころは自動的に静まるから
からだが動けば こころも動き続ける
なぜなら 心身は二つのものではないから
それらは一体 ・・・・ ひとつのエネルギー
初めのうち それは少し難しく思えるだろう
が 2~3日たったら 途方もなくそれを楽しむだろう
まもなく
こころの層が 一層ずつはがれ落ちてゆくのがわかる
ただ 無心にそこにいる
一瞬がやってくる
by OSHO ;
Bhagwan Shree Rajneesh