いま、LINE等でつながっていないと落ち着かないという子ども達が多い。
facebookでも友達の数が表示され、
見知らぬ人へアプローチをして承認をもらい、
誰かと競っているかのように数が増えていく。
それを見て安心するという。
いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、
自分が危険な状態にいるという証拠だ。
本当の自分を探すために、誰かを求める。
自分をもっと相手にしてほしいから、友人を求める。
漠然とした安心を求めて誰かに頼る。
なぜ、そうなるのか。
孤独だから。
なぜ、孤独なのか。
自分のありのままを愛することがうまくいってないからだ。
しかし、インスタントな友人をいくら多く広く持ったとしても、
孤独の傷は癒されず、自分を愛するようにはなれない。
一時のごまかしにすぎない。
では、自分のありのままをどのように定義しているだろうか。
何をどれだけ受け入れて
何をどれだけ受け入れていないのだろうか。
長年の葛藤は、自己が存続するための隠れた戦略であることが多い。
それによって、長年私たちはずっと生かされてきた。
しかし、葛藤も執着も深く解放しようとするなら、
まずは、どんな自己も受け入れ
ひとつひとつ慈しみ、感謝して、愛するのだ。
そこに、パラドックスはある。
やがて、奇跡は起こる。
自分自身を本当に愛するためには、
内側の全てを受け入れ、
己の道を見つけ、
独立独歩自ら歩いていくのだ。
そこにはまだ苦痛がある。
しかしそれは、こころの筋肉を鍛える苦痛なのだ。