8/05/2015

こころの層








坐禅は 奥深く何ものにも従事していない状態
 

それは瞑想ですらない
 

というのも 瞑想するときには
 

何かをしようとしているから
 



神聖なるもの  を思い起こしていたり
 

まさしく 自分自身を思い起こしたりする
 

そうした努力が さざ波をつくり出す



どんなところに座ってもいい
 

が 何を見るにせよ あまり刺激のあるものであってはならない
 

たとえば あまり動きの大きなものであってはならない
 

それらは注意を散漫にする
 



木々なら見てもいい
 

それなら問題にはならない
 

木々はその風景が一定しているから
 



空を見守るのもいい
 

あるいは ただ部屋の一隅に坐って 壁を見守るのもいい



とくになにかに注目してはならない
 

ただの空っぽの状態    というのも
 

そこに目があり 人は何かを見なくてはならないから
 



が とくに何かを見てはいない
 

なにかに焦点を合わせたり 集中したりしてはならない
 

ただ広がったひとつの像 それはたいそうくつろがせるもの
 



そして 呼吸をくつろがせるということ
 

それをやってはいけない それを起こらせるがいい
 

自然のままにしておくがいい
 

そうすれば さらにいっそうくつろぎをうむ



からだをできるだけ不動に保つこと
 

まず よい姿勢をみつけなさい
 

まくらやふとん 心地よく感じるならどんなものに坐ってもいい
 

だが いったん腰をすえたなら 不動のままでいなさい
 

からだが動かなければ こころは自動的に静まるから
 



からだが動けば こころも動き続ける
 

なぜなら 心身は二つのものではないから
 

それらは一体 ・・・・ ひとつのエネルギー



初めのうち それは少し難しく思えるだろう
 

が 2~3日たったら 途方もなくそれを楽しむだろう
 

まもなく
 

こころの層が 一層ずつはがれ落ちてゆくのがわかる
 




ただ 無心にそこにいる  

一瞬がやってくる





by OSHO ; 
Bhagwan Shree Rajneesh










頭のなかで





世の中には 守らなければならない法律やルールがある

みな慎重になるあまり さらに独自の枠を重ねている




そうした枠や制限が増えれば増えるほど

創造性はすりへっていき 新たなアイデアもなくなる




創造性とはルールを破ること  ともいえる

ただし 破っても意味のないものもある




ラスベガスのある大きなカジノでのこと

ディーラーが ルーレット台に球を1コ投げ入れた

しばらく回転したあと 球は7番で止まった

すると 台の横にいた男が「  ノー!  」とがっかりした声を上げ

ディーラーに10ドルを渡した

台で賭けていた客人ではなかったため

ディーラーは なぜ10ドルよこすのか と尋ねた




 すると男は 

「  頭の中で19番に10ドル賭けていたけれど 負けたから  」

と応えた

ディーラーはため息をつき 黙ってその10ドルを受け取った

その後も同じことがくり返された

男は毎回 頭の中で賭けをしては「  負けた!  」といって

ディーラーに10ドルを渡した




ところが 球が17番で止まったとき

男は突然 大きな歓声を上げた


「  やったー! 1万ドルだ! 17番に賭けてたんだ!!!  」 




ディーラーはもちろんジョークだと思っていた

ところが 男は大の大真面目

なんと そのカジノを訴えてしまった




男は法廷で主張した

「  負けたときは 頭の中での賭けを認めて

   金を受け取ったのだから 

   勝ったときも認めるべきだ!  」 




意外なことに 裁判長は 原告側の主張を認める判決を下した

しかし 判決には重要な追加項目があった




【  頭の中で行われた賭けを容認したカジノは 

   頭の中で 原告が得た儲けも支払う義務がある

   ただしそれは 頭の中の小切手で支払うものとする  】



暗黙の掟を破ってもあまり問題はない という教訓だ
















アイデア






人が 新しいアイデアを恐れる理由が


私には理解できない


古いアイデアのほうが 私は怖い





ーーージョン・ケージ(アーティスト)