11/23/2009

Beauty, and Impression





胸にひびく美と感動がある。


個人的には、
レンブラント、リャド、ジャンセン(アート)、
モーツァルト、ショパン、ラフマニノフ(音楽)、
そして、オペラの魔笛- 夜の女王のアリア
がいい。


しかし、なにをもって感動を得るのか。
その感動はどこからやってくるのか、考えたことがあるだろうか?


特にクラシックを聴いたとき、
ホールに響きわたるピアノやヴァイオリンの演奏者は
まるで聖職者のようで、
ホールは寺院、あるいはチャペル。
神々がゆっくりと厳かに、多彩な音を運んできては、
聖職者のからだ/五感を使って表現する
一種のチャネリングのようで、
ズンとこころに染みわたる音は
身体中に大きく波紋を広げ、
一気にドキドキ感が増してしまう。


アートも然り。
昔一度、パリの画廊で涙を流したことがある。
苦学生だった私は、マティニオン通りにあるジャンセン画廊で足を止め、
リトグラフで一躍スターとなったジャンセンの
オリジナルの油絵を初めて見た。
稲妻のような衝撃を受けて
何とも云えぬ、ことばでは表現できない高揚感に包まれた。
身体中が熱くなり、
気がついたら涙を流していた。
神々の住む楽園の空間の中にある、一瞬の光をそこに見たような気がした。


感動の中に神がいる。
神からもたらされたその感動から至福感を得るのだろう。


まだ見たこともない神々の楽園をイメージすると
色・光が広がりすぎて抽象的になってしまうのだが、
人と自然との対話、
オーケストラで云う調和=ハーモニーが保たれて、
どちらが主役でもなく
バランス良く流れていれば、
それでいいのかもしれない。


「 わたしが... かれらが... 」と
主張の競い合いをしてしまうから
全体のバランスが崩れてしまう。
そこに感動はない。


表現の世界も人間の世界と同様、
互いに相手の良さに気づいて、互いに歩み寄る
相手の声をよく聞いて、対話する、
そうしながら、色彩や線が融合し、
ピアノとオーケストラが対話してはじめて、
楽園から一筋の光が注がれてくるのかもしれない。