4/25/2015

頭の中のおしゃべり




















自分の中のおしゃべり

頭の中のおしゃべりに気づいたことがあるだろうか?

まずは それに気づく必要がある




何時間もどっぷりと 

頭の中のおしゃべりにハマり込んでしまい

ごちゃごちゃになってはじめて気づくのではなく

そのおしゃべりの真最中に気づくのだ





さもなければ 気づかれることのないおしゃべりがずっと続く

そこにちょっとでもいいから気づくこと
 
そうなって初めて

本当の自分ではないその状態から

自由になりたいと思う自分が見えてくるのだ




エゴの6つのプレイ



 
















人間のエゴ(自我)の根本的な6つのプレイは

次の通り。





  支配しようとする

  支配されるのを拒む
 
  自分は正しい

  相手は間違っている

  自分を正当化するためにごまかす

  相手に罪の意識を感じさせようとする




4/24/2015

いつも機嫌よく生きるコツ





 
いつも機嫌よく生きていくコツは

人の助けになるか

誰かの役に立つことだ。




それによって

自分という存在の意味が実感され

純粋な喜びになる。



喜びの橋



 












愛とは

自分とは異なる人生で生きる人、

異なる感性をもつ人を

受け入れて喜ぶこと。




自分とよく似た人を愛するのではなく、

自分と対立して生きる人へ

喜びの橋を渡すことが愛だ。




ちがいを否定するのではなく

ちがいを愛するのだ。




自分自身でも同じこと

自分のなかにも 対立や矛盾がある。

愛は 

それらに対して反発することなく

むしろ 

対立や矛盾ゆえに 

それを受け入れ  喜ぶのだ。









勇気ある人


   

勇気ある人を動かすには、コツがある。

その行為が危険に満ちているとか、

かなり困難であることを告げればいい。

実際にはそれほど危険で困難でなくともだ。





 
すると、勇気ある人は、その行為が危険であるがゆえに、

自分が今動かなければ誰も動くまい 

という気持ちから動き出す。



 
人には、その行為や事柄がある程度困難であるがゆえにチャレンジする

という性質がある。

もし、最初から簡単であるとされていれば、失敗したときには言い訳が立たない。

困難な事柄に失敗した場合は、

その勇気を誉められるか、少なくともよく挑んだと慰められる。



4/19/2015

自分しか証人のない試練

自分を試練にかけよう

人知れず、自分しか証人のいない試練に



たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる

たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう

たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない



そうして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し

自分が気高い存在であることがわかったとき

人はホンモノの自尊心をもつことができる



これは、強力な自信を与えてくれる

これが自分への褒美となるのだ




4/15/2015

存在






自分以外のなにものでもない

存在でいようとすること





それは 

終わることのない困難な闘いである







【  e. e. cummings  】







4/12/2015

自分自身を愛する






いま、LINE等でつながっていないと落ち着かないという子ども達が多い。

facebookでも友達の数が表示され、

見知らぬ人へアプローチをして承認をもらい、

誰かと競っているかのように数が増えていく。

それを見て安心するという。



 

いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、

自分が危険な状態にいるという証拠だ。



 

本当の自分を探すために、誰かを求める。

自分をもっと相手にしてほしいから、友人を求める。

漠然とした安心を求めて誰かに頼る。

なぜ、そうなるのか。

孤独だから。

なぜ、孤独なのか。

自分のありのままを愛することがうまくいってないからだ。



 

しかし、インスタントな友人をいくら多く広く持ったとしても、

孤独の傷は癒されず、自分を愛するようにはなれない。

一時のごまかしにすぎない。


 


では、自分のありのままをどのように定義しているだろうか。

何をどれだけ受け入れて

何をどれだけ受け入れていないのだろうか。



 


長年の葛藤は、自己が存続するための隠れた戦略であることが多い。

それによって、長年私たちはずっと生かされてきた。

しかし、葛藤も執着も深く解放しようとするなら、

まずは、どんな自己も受け入れ

ひとつひとつ慈しみ、感謝して、愛するのだ。

そこに、パラドックスはある。

やがて、奇跡は起こる。




 
自分自身を本当に愛するためには、

内側の全てを受け入れ、

己の道を見つけ、

独立独歩自ら歩いていくのだ。

 



そこにはまだ苦痛がある。

しかしそれは、こころの筋肉を鍛える苦痛なのだ。






4/08/2015

喜々とした豊かさ






古代ギリシャの哲学者エピキュロスは、生きていく上での快楽を追求した。

そして、たどり着いた頂点は、
満足という名の贅沢だった。



それは・・・

小さな家
イチジクの木
少しばかりのチーズ
3人の友達




それだけで彼は十分に満足できて
贅沢に暮らすことができた。



断捨離は内なる豊かさを生む。



モノを通して、人はどれだけ汲み出すことができるだろうか。

ある人は、一つか二つくらい。
ふつう、能力の差といわれている。



しかし実は、
モノから何かを汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。

モノに触発されて
自分の中から湧き出る泉を自分で見出だしているのだ。



つまり、自分の内なる泉、聖なるモノに気づき、真の豊かさを得ること。

喜々とした感覚は
自分を豊かにする最高の方法であり
能力を高め
人生を無限に豊かにする。