6/08/2010

なろうとすること







昔 ある王に

その友人が尋ねていった



「 陛下、

ローマを征服されたら、

次はどうなさいますか? 」





 

王は答えた
「 シチリアが次の場所だな。そこは簡単に征服出来るだろう 」

「 では シチリアを奪った後は どうされますか? 」

「 それではアフリカに向かい そこを制圧しよう 」

「 アフリカの後には? 陛下 」

「 ギリシアの番だろうな 」



「 それら全ての征服の成果は どうなりますか? 」


王は答えた。

「 その時に 座って楽しむことが出来るだろうな 」


友人は言った


「 今 楽しむことは出来ないのですか? 」




これは「  自分への言い訳  」の物語


富を蓄えた後にと 期待する喜びや

不安や理想の未来は

今ここで 手に入れることが出来る

富を持つことは、快適な人生を

楽しむ手助けにな



 


しかし

物質的な富を持つだけでは

リラックスして 人生を楽しんでいく指標とは

なり得ない


 


内的世界や複雑な人間の感情を探求すると

ほとんどの人々が 「 在る 」ことよりも

絶えず 「 なろう 」とするため

苦しんでいることが



「 『 在るもの 』 から 『 在るべきもの 』への変化は

苦しみとなる  



「 妬み 」から「 妬みのない状態 」へ


「 悪徳 」から「 善良さ 」へ


「 無知 」から「 知的 」へ


「 不完全 」から「 完璧さ 」へ


「 世俗 」から「 聖なるもの 」へと 変わろうとするように


絶えず「 なろうとする 」ことは 数千年もの間


人類のマインドで続いているもがきである



 


あるがままのあなた自身を 抱きしめてあげることが

最初で最後のステップである



 

あなたは あなた自身でいなければならない


あなたが どうすべきかは重要ではない


あなた 何であろうと



あなたはユニークなの



宇宙が あなたを そのように作った


神が そのように あなたを作った


なぜ その仕事の 邪魔をするのか?


「 神に従う 」とは あなたがあなた自身であること


あなた自身であることが 悟りである