昔 ある王に
その友人が尋ねていった
「 陛下、
ローマを征服されたら、
次はどうなさいますか? 」
王は答えた
「 シチリアが次の場所だな。そこは簡単に征服出来るだろう 」
「 では シチリアを奪った後は どうされますか? 」
「 それではアフリカに向かい そこを制圧しよう 」
「 アフリカの後には? 陛下 」
「 ギリシアの番だろうな 」
「 それら全ての征服の成果は どうなりますか? 」
王は答えた。
「 その時に 座って楽しむことが出来るだろうな 」
友人は言った
「 今 楽しむことは出来ないのですか? 」
これは「 自分への言い訳 」の物語
富を蓄えた後にと 期待する喜びや
不安や理想の未来は
今ここで 手に入れることが出来る
富を持つことは、快適な人生を
楽しむ手助けになる
しかし
物質的な富を持つだけでは
リラックスして 人生を楽しんでいく指標とは
なり得ない
内的世界や複雑な人間の感情を探求すると
ほとんどの人々が 「 在る 」ことよりも
絶えず 「 なろう 」とするため
苦しんでいることがわかる
「 『 在るもの 』 から 『 在るべきもの 』への変化は
苦しみとなる 」
「 妬み 」から「 妬みのない状態 」へ
「 悪徳 」から「 善良さ 」へ
「 無知 」から「 知的 」へ
「 不完全 」から「 完璧さ 」へ
「 世俗 」から「 聖なるもの 」へと 変わろうとするように
絶えず「 なろうとする 」ことは 数千年もの間
人類のマインドで続いているもがきである
あるがままのあなた自身を 抱きしめてあげることが
最初で最後のステップである
あなたは あなた自身でいなければならない
あなたが どうすべきかは重要ではない
あなたは 何であろうと
あなたはユニークなのだ
宇宙が あなたを そのように作った
神が そのように あなたを作った
なぜ その仕事の 邪魔をするのか?
「 神に従う 」とは あなたがあなた自身であること
あなた自身であることが 悟りである