5/26/2015

一緒に





一緒に黙っていることはすてきだ

もっとすてきなのは 一緒に笑っていること




二人以上で 一緒にいて 

同じ体験をし ともに感動し

泣き笑いしながら 同じ時間を共に生きていくのは

とてもすばらしいこと











どうとらえるか




日々の小さな習慣が 慢性的な病気をつくる




同じように 日々おこる事柄に対して

否定的にとらえているか

肯定的にとらえているか

そのとらえかたによって

自分の魂を病気にしたり 健康にしたりする




日に10回 まわりの人に冷たいことばをあびせているなら

たった今から

日に10回 まわりの人を喜ばせるようにしたらどうか




過去にとらわれ 人を裁くのはなぜか

保身のため 自己正当化のため

あるいは 

見栄や体裁のため

正しい  ---  悪い と短絡的にジャッジする古い概念のかけらが

まだ残っているのだろうか




物事は起こるべくして起こる

そして 状況は日々変化している

すべてはとらえかたである
 



自分の魂を治療するには 

どんなときでも どんな状況でも

肯定的なとらえかたに変えていくのだ




すると まわりの人のこころも状況も

確実に好転していく



 

 

5/15/2015

愛 本質





すべての愛は必ず、自分を愛することから始まります。


愛の欠落がすべての問題の根源です。

そしてその原因はさほど遠くにはありません。

実は私たちひとりひとりの中にあります。




集団の状態によって影響をうけた、私たち個人の内側の状態が原因です。

人生のすべての努力はただ愛の追求にあります。

こどもの時に自分だけを誰かに愛してもらいたかったのに

そうではなくて、不幸せだったとしましょう。

その誰かに愛してほしいという対象は学校の先生、

自分の伴侶、自分のこどもへと続きます。

そして人生はただ待つというだけの連続した長いプロセスになります。




私たちは、しばしば、私たちが真実の愛と呼んでいるその愛を 、

自分の近い人や愛する人に求めて、試したりもします。

そして思うような結果が得られず怒ったり満足しなかったりします。

人々が愛と思っているものは、

ただ求めたり切望したり愛に飢えているだけです。

この愛を求めることが、私たちが考える愛です。

そして 結果はフラストレーションだったり、困惑や失望です。





私たちはそれぞれ内側にむなしさがあります。

このむなしさを埋めるために人間関係を使います。

人間関係に執着すると、人はいつも愛されたい

という思いにいつもさいなまれます。

この愛に執着するところには、

それを失いたくないというおそれが生まれます。

自分の自由もすべての人の自由も破壊してしまいます。

その恐れから生まれた行為が愛と呼ばれているのです

その真実は、人々が自分自身を愛せずにいて、

人間関係が自分自身を愛する手段になってしまっているのです。

人間関係を通して、自分を満たそうとします。




すべての愛は必ず、自分を愛することから始まります。

自分に対するように相手にも対するということを覚えてください。

それをよく考えることによって人は、自分が自分の内側とつながる

全く同じ方法で、人ともつながるということに気づきます。




もし誰かが、自分のすべての考え、言葉、行動を全否定したら、

ほかの人も全く同じように否定します。

もし自分自身の欠点に捕らわれて執着していたら、

ほかの人の欠点にもそのように攻撃します。

自分自身を攻めることをやめて自分自身をありのままに

受け入れることができれば、自分自身を愛することができます。




自分の中に平安がおこれば、すなわちそれは世界とも平安を築けます。

そして私たちは愛がこの宇宙のすべてだと気づきます。

それが私たちの本質です。




by Bahgavan

善と悪





悪とは何か
 
人をはずかしめること




人間的なこととは何か

どんな人にも恥ずかしい思いをさせないこと




自由とは何か

どんな行為をしても 自分に恥じない状態になること





公正




人の立場に 自分自身をおける人だけが
 


公正である


5/14/2015

シャープでどんくさく







シャープで スマートだけではいけない

どんくさいところも必要だ



 
切れるだけが かっこいいのではない

切れるだけだと

いつまでも「 まだまだ若い 」といわれて

どこか軽く見られてしまう

また すべて完璧にこなすことで 仕事の評価は上がるだろうが

冷たいイメージは倍増 何となく距離をおきたくなる

よって 

錆びも必要だ






シャープでありながら どんくさいところもあれば

愛嬌があって 人にも好かれ

誰かが手伝ってくれたり 味方になる余地もでてくる

なにより

切れるだけのときより ずっと得をすることになるのだ





こども

 

 

Children



Your children are not your children.
They are the sons and daughters of Life's longing for itself.
They come through you but not from you,
And though they are with you, yet they belong not to you.
You may give them your love but not your thoughts.
For they have their own thoughts.
You may house their bodies but not their souls,
For their souls dwell in the house of tomorrow, which you cannot visit, not even in your dreams.
You may strive to be like them, but seek not to make them like you.
For life goes not backward nor tarries with yesterday.
You are the bows from which your children as living arrows are sent forth.
The archer sees the mark upon the path of the infinite, and He bends you with His might that His arrows may go swift and far.
Let your bending in the archer's hand be for gladness;
For even as he loves the arrow that flies, so He loves also the bow that is stable.



 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *



こども




 
あなたの子どもは、あなたの子どもではない

自らを保つ 生命の願望

そこから生まれた息子や娘

それがあなたの子ども



 
あなたを通してくるが

あなたからではない

あなたと一緒にいるが

あなたのものではない





子どもに愛を注ぐがいい

しかし 考えは別

子どもには子どもの考えがあるから

あなたの家に 子どものからだを住まわせるがよい

しかし その魂は別

子どもの魂は 明日の家に住んでいて

あなたは夢のなかでさえ 立ち入ることはできない




 
子どものようになろうと努めるがいい

しかし 子どもをあなたのようにしようとしてはいけない

なぜなら 生命は後へ戻らず

昨日に留まっていないから



 
あなたは弓

その弓から 子どもは生きた矢となって放たれていく

射手は 無窮の道程にある的を見ながら

力強くあなたを引きしぼる

かれの矢が 早く遠くに飛んでいくために



 
あの射手に引きしぼられるとは

何と有難いことではないか

なぜなら 射手が とんで行く矢を愛しているなら

留まっている弓をも愛しているのだから






by Kahlil Gibran   





中立




すべての状況は中立でやってくる


それに意味を与えるのは 自分の考えである







5/13/2015

矜持をもて




孔雀は 人前でその麗しい尾をかくす

これは 孔雀の矜持といわれている




孔雀のような動物でもそうなのだから

わたしたちは 人間として

いっそうの慎みと矜持をもったほうがよいだろう








見かけだまし




道徳的なふるまいをする人が 真に道徳的であるとは限らない

道徳に服従しているだけかもしれないからだ

あるいは 自分ではなにも考えず

世間体のためだけに従っているのかもしれない

または 思い上がりから

それとも 無力であきらめているのか

めんどうだから あえて道徳的なふるまいをしているのかもしれない




つまり

道徳的な行為そのものが 道徳的だとみることはできない

道徳は その行為だけではホンモノかどうか

なかなかわからないのだ





 



5/12/2015

自分の眼で見る





富士山周辺の山々、湖はとても美しく

年間を通して 表情の豊かさに満ちあふれている

河口湖や西湖、精進湖エリアもすばらしい風景だ




それなのに 観光的な知識のおかげで

人々の眼は 富士山のみに注がれる

これでは、自分の眼を本当に楽しませることはできない




知識ではなく 

自分の眼が いまとらえている美しさを発見しよう

自分の足で旅をし

広々とした自然の中へ入り

からだ中で 清々しい自然美の恩寵を受け入れよう




自分の発見した美は

五感を通して からだの記憶に入りこみ

その感覚は精神的なものになり

あらゆる形で表現され 芸術化されてきた




自分の感覚を信頼し 新たな美を発見しよう

自然はいつでも 

私たちを やさしく受け入れてくれるのだから





 






存在の構造





すべては波動でできている

人間も動物も 車も 自然界のすべても




自分自身をもっと新しい状態にするには

いま この瞬間の喜びを通して

無限とのつながりを思い出すこと




可能な限り 

エネルギーに満ちた 肯定的な意識にチューニングして

愛と真心をもって表現すること




疑いや不安を外に投げかけると

疑いや不安に満ちた現実が 自分のまわりに引き寄せられる

後悔やフラストレーション、罪悪感がやってくる




実験してみよう




自分が与えたものは 自分に返ってくる

これは 人間世界のメカニズムの力学

純然たる 存在の構造である