12/04/2009

目蓮尊者 *maudgalyaayana



2009年も残り1ヶ月です!

思い残すことがないように、仕事にプライベートに、
思い切り楽しみましょう!


今回は、お釈迦様の十大内弟子の一人である目蓮(モクレン)尊者について。
[ ※正しくは目犍連(モッケンレン)という。 ]
個人的に、この目蓮尊者の大ファンです。
やや宗教的ではありますが、「こころのあり方」を少し考えるためにお話ししましょう。


目蓮尊者は、お釈迦様の十大内弟子のなかでも神通力(超能力/天眼)をもつ第一人者でした。

目蓮尊者は、お母様が亡くなった後、神通力により餓鬼道に堕ちて苦しんでいることを知り、お母様を救うために行った供養が「お盆」行事の起源だと云われています。(盂蘭盆=うらぼんえ)
神通力をもつ方々は、亡くなったお母様があの世でどこへいったかもわかるのですね。
.....すごい!
そして、お釈迦様から教わった秘法により、実際にお母様を救われ、無事昇天されました。
(現在行われている盆踊りは、目蓮尊者のお母様が天へ昇る姿を象形したものであるとされています。)



目蓮尊者は、ある時、盗賊に襲われそうになりました。
もちろん神通力の持ち主でありましたので「危険が迫っている」ということが事前に分かり、別の神通力を使ってその場を切り抜けたそうです。


また同じように、ある時、盗賊に襲われそうになりました。
この時も、同じように、神通力を使って難を逃れました。


度重なるこの体験から、目蓮尊者は「これは自分の背後になにかあるぞ!」と思い、瞑想によって過去の自分自身の生をじっくりと見つめました。
その結果、「これは避けて通れることではない。過去に自分自身が作り出したカルマが、今世になって返ってきたのだからすべて受け入れよう。」と決めました。


そこで、師匠であるお釈迦様に頭を下げ、これまでの御礼をいい、直接盗賊たちの居るところへ出向いて行きました。
残念ながら、結局、盗賊達に命を取られることになりましたが、その時、死を間際にして目蓮尊者は涙を流したそうです。
さて、死というものを目の前にして、目蓮尊者は、どういう「涙」を流したのでしょう?


「人の命という、最も大切なものを奪うという重罪を犯すことによって、この者たちは、今後何世も何世も輪廻転生をくり返す。その重いカルマを引きずりながら、なんと厳しい人生を送らなければならないのだろう!」


.....その盗賊達の行く末を思い、悲しみのあまり涙を流しながらも、彼らの幸せを願いつつ、彼らに斬られて死んでいったそうです。
真の「慈悲の心」というものは、いま、自分を殺そうとしている者に対してまでも、恨みや、憎しみを向けるのではなく、こころの底から慈しみ、慈愛のこころをもっていつも配慮し、行く末の幸せを願うこころなのだといわれています。


慈悲、慈愛....と聞いて、わたしたちはこの現代社会のなかで、果たしてどれだけのことができているのだろう? と思います。
しかしながら、家族の絆、友人たちとのコミュニケーションなどを考えると、そこには目に見えない愛情があったり、感謝、思いやり、配慮、ちょっとした気遣いなど、真心を向けること、できることはたくさんあったりします。


もちろん、人との関係性の長短はあるにせよ、正しいこころのあり方として、時には意図的に真心をもったアクションをとったりすると、喜びがストレートに返ってきてとても気持ちがいいものです。
こちら側から、いつも善のエネルギーを放射していくと、自分に返ってくるものも善の光となって倍返しされるとよくいわれます。そんなこころのキャッチボールが、あらゆる人とできればいいなぁと思います。


平々凡々に暮らす凡人には、この目蓮尊者のようにはなかなかいきませんね。 ^ ^
神通力をもってカルマを知り、問題に直面してあえて身を差し出し、カルマを解消しようとするその勇気はすばらしいし、また、身を斬られる瞬間にも慈悲のこころを差し出す慈愛の精神も、なかなか表現の域を超えてしまいますが、こころの向けかたとして、そのこころ意気(粋)が本当にすばらしいなぁと思います。
人を見て、こころを見る、そして身を正す、それを最後まで押し通すのですから。


「 こころ磨き 」とは、よく修行言葉で云われますが、
昔の聖人賢者に学ぶところ、本当に多いですね。


年末に向けて、大〜いに学び、
柔軟的に身を正していきましょう。 ^ ^


※カルマの浄化、チャクラ開発、潜在能力開発などご興味のある方は、左のART-LINKボタンより「 The Third Eye chakra 」をご覧ください。すばらしい方々がいらっしゃいますよ。

11/23/2009

Beauty, and Impression





胸にひびく美と感動がある。


個人的には、
レンブラント、リャド、ジャンセン(アート)、
モーツァルト、ショパン、ラフマニノフ(音楽)、
そして、オペラの魔笛- 夜の女王のアリア
がいい。


しかし、なにをもって感動を得るのか。
その感動はどこからやってくるのか、考えたことがあるだろうか?


特にクラシックを聴いたとき、
ホールに響きわたるピアノやヴァイオリンの演奏者は
まるで聖職者のようで、
ホールは寺院、あるいはチャペル。
神々がゆっくりと厳かに、多彩な音を運んできては、
聖職者のからだ/五感を使って表現する
一種のチャネリングのようで、
ズンとこころに染みわたる音は
身体中に大きく波紋を広げ、
一気にドキドキ感が増してしまう。


アートも然り。
昔一度、パリの画廊で涙を流したことがある。
苦学生だった私は、マティニオン通りにあるジャンセン画廊で足を止め、
リトグラフで一躍スターとなったジャンセンの
オリジナルの油絵を初めて見た。
稲妻のような衝撃を受けて
何とも云えぬ、ことばでは表現できない高揚感に包まれた。
身体中が熱くなり、
気がついたら涙を流していた。
神々の住む楽園の空間の中にある、一瞬の光をそこに見たような気がした。


感動の中に神がいる。
神からもたらされたその感動から至福感を得るのだろう。


まだ見たこともない神々の楽園をイメージすると
色・光が広がりすぎて抽象的になってしまうのだが、
人と自然との対話、
オーケストラで云う調和=ハーモニーが保たれて、
どちらが主役でもなく
バランス良く流れていれば、
それでいいのかもしれない。


「 わたしが... かれらが... 」と
主張の競い合いをしてしまうから
全体のバランスが崩れてしまう。
そこに感動はない。


表現の世界も人間の世界と同様、
互いに相手の良さに気づいて、互いに歩み寄る
相手の声をよく聞いて、対話する、
そうしながら、色彩や線が融合し、
ピアノとオーケストラが対話してはじめて、
楽園から一筋の光が注がれてくるのかもしれない。

9/16/2009

自由発想のトレーニング




「  ◎◎◎ とかけて ◆◆◆ と説く。 そのこころは ●●● です!  」


という落語家遊びのなぞかけがあります。
なぞかけを練習すると、自由に発想する力を養うことができます。


では、なぞかけ問題を出しましょう!
「  お父さん とかけて、何 ととく!?  」


つまり、
「  お父さんとかけて ◆◆◆ と説く。 そのこころは ●●● です!  」


まずは、お父さんのイメージについて考えます。
*朝早くから夜遅くまでがんばっている!
*尊敬できる!
*お酒を毎晩のんでいる!
*生活費を稼いでくれる!
*いつも新聞を読んでいる!   など。。。


次に、最初のイメージから連想できるものを考えると、
*朝早くから夜遅くまでがんばっている!
     ↓  ↓  ↓
*24Hコンビニ/ 宅配便配達   など。。。


休みがないものを連想するとわかりやすいでしょう。
それを、「  ◆◆◆ と説く。 」 に該当させて組み合わせてみると


「  お父さん とかけて コンビニ と説く。 
   そのこころは 朝早くから夜遅くまでがんばっている!  」


※「お父さん」 と 「コンビニ」 の部分に、一見違和感がある内容を入れると
組み合わせとしておもしろくなりますね。
最後のタネ明かしで、意外性が出てくるからです。
「 な〜んだ! そうだったのか! 」と。 そう思われたらしめしめ....です! 笑)


宴会など、友人達が集まった時に、こういった遊びを取り入れて自由発想のトレーニングをすると
柔軟性が出て、遊びの中で頭の体操ができると思います。


では、もう一つ応用編;
「 部長  とかけて  サンドイッチ  ととく。
  そのこころは  いつも板挟み  〜〜〜  」


これは、明るくいうと後で酷い目に遭うかもしれません。くれぐれも表情には気をつけて! 笑)


柔軟性、好奇心、遊び心は日々の仕事の中で取り入れると、グッと仕事の質が上がったりするものです。
遊び心は大事です。ジョークと同じように...。
人間は、本来好奇心が旺盛な生きものです。
好奇心は、いろいろ新しいことにチャレンジする気持ちを奮い立たせてくれます。


赤ちゃんと同じように、遊びの中で経験や学習をして成長できれば一番ですね!
ただ、何となく現状に満足するのではなく、思い切って現状と違った見方、考え方をもって今までのやり方を改善する勇気、行動が日々を新しくしてくれます!


つい先日、久々にヒーリングセラピーに行ってきました。
どこか悪いわけではありません。すばらしいメンバーの方々がいらっしゃるので時々参加しています。
その中で「 笑い 」のヒーリングがあります。
ただ、笑うのです! なにもなくても「 笑う 」!


最初の頃、まるで役者の講座を受けているようだ....とまったく笑えなかったのですが、
見ていると先生がおもしろいのです! おなかを抱えて、率先してゲラゲラ笑い出すわけです!
すごいなぁ〜と感心し、周りの人たちにつられて笑い、2回目のときには、またユニークな人に出逢い笑い出し....
からだも心も笑いの渦の中で、いつのまにか全身がすっかりほぐれて、汗も噴き出し、リラックスしていました。
考える必要はなにもない....「 思考を手放す 」ということだと思います。


人は、一日に6万回思考しているといわれていますが、そのなかの思い込みや執着がいかに多いことか、その思考がほんとうの自分であると思われているようですが、実はそうではないことが最近わかりました。
自由への第一歩は、【  思考は「ほんとうの自分」ではない  】
と認識することからはじまります。
思考を客観的にながめて、手放し、自分自身の大いなる存在感、喜び、心の平安を見つけられたらいいですね!



連想ゲームも笑いも同じ、遊びをとりいれて仕事しましょ〜!  
善は急げ!!   笑)

9/12/2009

ミュージカル・スター




9月6日(日)国際的ミュージカルダンサー、神ひろしさんのセミナー・パーティに行って参りました。
欧米で長年、ギリシャ悲劇「王女メディア」等演じられ、国際的にご活躍されていらっしゃいます。
とにかくスゴ〜いパワーでありました!
そのパワーとは・・・?


俳優・ダンサーのみならず、様々なセミナーを企画・主催され、芸能界から発明家まで異業種の方々の交流会も行ない、先陣を切ってネットビジネスも展開。
まさにマルチプレーヤーですね! 本当に頭が下がります。


神ひろしさんは、1997年、キプロスの世界文化遺産『クリオン遺跡円形劇場』に東洋人初の主演俳優として登板(『王女メディア』)。ダンス・演劇業界人を一驚させ、また、映画化でも話題の手塚治虫の『どろろ』のミュージカル化で、実写版初の「百鬼丸」主演。 ニューヨークでも大絶賛。劇団四季出身で、現在ミュージカル戯曲家・演出振付家をされていらっしゃいます。


とてもフランクで優しい方、
いろいろな分野に対してアンテナを張られていらっしゃるのがセミナーを通じてよく解りました。




今回は神ひろしさんに続いて、Macのスペシャリスト・高野さん、女優・黄金咲ちひろさん、発明家・松本奈緒美さん、開運カウンセラー・和知優介さんなど豪華な方々のセミナーが続き、
そして、今回のプレゼンテーターは、バレーボールでお馴染みの大林素子さんのお母様、大林弘子さん!
ダンサーでもあり、神ひろしさんとのダンスも素敵でした!
大林素子さんの子ども時代の感動秘話も・・・。
プロの世界の許されざる規制、概念。その中での親子の葛藤は、普通にくらす一般人には想像以上のものなのだと身につまされました。

それ故に、プロは集中力が高まり、結果が出せるのでしょう。
すべてのものを断ち切って、一点集中。
これはこれは・・・なかなかできないことです!
しかし、そういう状況下で仕事をせざるを得ない場合、やはり人間の能力はすばらしい! 最大限に引き出されていくんですね。勿論尋常ではない犠牲もつきものです。いい気づきをいただきました。

仕事など「のぞむ結果」を出したい方は、「一点集中」ぜひどうぞ・・・笑)
人ごとではありません・・・笑)


様々な分野の方々の発想、知恵、アイディア、マネージメントの心構えなど、超パワフル+超ポジティブな神ひろしさんのリードによって学びのチャンスが得られ、非常に充実したセミナーでした。
ヒロさん、ありがとうございました。 大きなパワーに感謝!


そう、10月にミュージカル「王女メディア」海外凱旋記念講演が予定されていますよ。
ご興味ある方はこちらにどうぞ! 

http://www.j28studio.com/samsa-medea.html

7/29/2009

爆笑問題のニッポンの教養




先日から
ちょっと気になるTVがある。

「  爆笑問題のニッポンの教養  」だ。

最近、脳科学について大変なブームだが、
こちらは五感特集ー 触覚 ーについて。


= 人間の触覚はいまだ未知の部分が多く残されている分野だ。
例えば「ざらざらする」と言ったとき
実際に皮膚で何が生じているのか、まだ正確には分かっていない。
さらに人間のコミュニケーションの手段は映像や音声に限らない、
髪をなでれば安心し,手を握りあえば心が通じるように,
コミュニケーションの究極には触覚がある。        =

(File080;「触ってのお楽しみ」より)



触って人に伝わる心地よさと抵抗感。
子どもを抱きしめる、ネコをなでる、
シルクのシャツを着たときのなめらかさ、
とても居心地がいいポジティブな安心感が得られる一方、
人とぶつかり合った時の肌の擦れ合い、タバコの煙がのどを通る時の抵抗感がある。


これは相互作用があるものの、まだ皮膚感覚だけではパターン認識が
できないという。
皮膚に異物を感じると目で見て追い払ったりするが、
インプットとアウトプットのプロセスの中で
視覚など他の感覚が入り込んで存在する。
また、身体中を覆っている皮膚の質を考えれば、
人にはそれぞれ体質というものもあり、勿論個人差もでてくるだろう。


いつも無意識のうちに何気なく使っている五感のひとつひとつが
研究者の手によって科学的に解明されようとしているが、
しかし、先程のような皮膚のパターン認識はとても深い話で
本当に解明される日は来るのだろうか?


私たちは、日々ものを考え、直感的なひらめきがあり、
とっさに五感を使って表現に向かうわけです。
そこには、わくわく、ドキドキする感情もともなって
とてつもない作品ができたり(例えば...です(笑)、
また、人によって違ったモノができる。
このアナログ的な想定外の作品がおもしろさだと思う。

しかし、皮膚のパターン認識によってデジタル式に解明された暁には
どんな世界が待っているのだろうと。

音声や映像では伝わらない感情を、触覚は伝えることが出来るというが、
このあたりは期待したい。
... ha ha ha ...
アナログ人間だとすぐにわかりますね。(笑)


約2年前、
本来は読む人のイマジネーションにゆだねられる
文学作品の世界を多様なかたちで視覚化した、
現代文学作家とメディアアーティストのコラボレーション
「 文学の触覚 」展覧会が開催された。
純文学と視覚芸術・メディアアートとの接点に焦点をあてたもの。


いま、五感を解放した先に
新たな領域と表現の可能性を開拓し探ろうという
おもしろい試みが進んでいる。
アートのコラボレーションは、
無意識の感覚を意識的にむきだしに見せるところにおもしろさがある。

6/08/2009

LAST HOLIDAY




" LAST HOLIDAY " という映画(DVD)を見た。


ある女性がガンと告知され、一人旅に出かける。
余命3週間。
ある決心をする。


人はこのような時、なにを見て、なにを考えるのだろう?


人体を活発にさせるエンドルフィン、
人体を衰弱させるアドレナリン、


心の動きは、ホルモンや血流までも変えてしまうことを
知っていれば、
知性や理性のお蔭で、ある程度は自己コントロールできるのだろうか。
と、ここ1,2年ほどこういったことをあれこれ考え研究している。


魂、霊性、宇宙のメカニズムに関する書籍を読みまくっていたら
シルバー・バーチ、ブライアン・ワイスを経て
アラン・カルディックの「 天国と地獄 」に出逢った。
今後の生き方について再考するには、非常にいいタイミングだった。



あなたは神を信じますか?



映画の女性は、思いっきり事を成し遂げようとする。
その勇気と行動力、
そして、神との対話。


そこには、信仰心のみならず
自分と神とのつながりを常に信じ、
この世に生かされ、最後まで精一杯生きようとするなかでの
強い信念、正義、神への感謝があった。


人はみな喜び、幸せになる権利を平等にもっている。


自分の天寿を全うし、幸福を得るためには
まわりの物質的な環境に支配されるのではなく
他者と分かち合い
善へ向かう一歩の歩みを喜んで行なうこと
また、
幸福を「 わたくし化 」しないこと
だと思う。



あるバレエダンサー曰く
「 目に映るすべてのものを、いつも美しく整えておきたい... 」



私にとって
美 ・ 喜び ・ 幸福感は
同じところに同居している。

しかし、それは手を伸ばして簡単に手に入れることはできない。

見たものすべてを、解き明かせるとは思っていないが、
まだ満たされていない魂のために
未知なる美、未知なる喜びを発見できればと思う。
神様に祈りを込めて。



さぁ、今日一日を有意義に過ごそう!



この映画に感謝! 神様ありがとう。



※因に、最後はハッピーエンドです .....笑)
※キャストの一人、フランスのジェラール・ド・パルデゥーはとてもいい .....笑)

2/26/2009

共感覚 Synesthesia





「共感覚」ということばがある。


「音楽に味や色を感じることができる人」 または 「風景ににおいや音楽を感じることができる人」。



「共感覚」というのはドイツ語で Synästhesie (英語:Synesthesia )、つまり Syn=「一緒」と aisthesie =「感覚」からなる複合語で、通常の感覚だけではなく、違った種類の感覚をも共に感知する神経生物学的現象。


具体的には音に色を感じたり、数字や文字に色を感じることで、共感覚を持つ人はドイツではおよそ500人に1人。
特に画家、詩人、作家などの芸術家に多いらしい。しかし、データはどうやって???


「共感を覚える」ではなく「感覚が共になる」という意味。また「共感覚」という言葉は日本ではすでに定着しているようだ。


作曲家のリストにはオーケストラのリハーサルで「そんなにピンクではなく、もうちょっと青く」と要求したという逸話が残っている。また、画家のカンディンスキーは「色彩の響き」を発展させて絵画の「色彩シンフォニー」を作成し、自作に「コンチェルト」とか「フーガ」と名づけている。一般人に比して、芸術家には共感覚を持つ人が7倍多いという。


実は、書きながら昔のことを思い出した。
こども達にアートを教えていた時、よくイメージトレーニングを行なっていたのだが、いろ・かたちをランダムに描いたカードをフラッシュさせて思い出すというトレーニング。キャッキャッと笑いころげてみんなで楽しんだ。
また、アルファー波の出る音楽をかけて、目を閉じ、風景やいろをイメージして作品を描くトレーニング。個人差はあるが、凄腕のこども達の五感力に毎回驚かされた。--穏やかな朝、朝日を浴びた窓辺の向こうに馬が戯れていたり.....色と線だけで描いたポップアート調のものもあった。--五感創造教育の一環だった。
カリキュラムはすべて手作りで、だれでも創ることができる。これを作ったきっかけは、実は自分のためでもあった。
一匹狼で制作していると、空間が固まってくる時がある。(これ以上の表現ができない)単なる気分転換ではなく、感覚を緩めて解放するトレーニングを探していたら、このように手作りとなったわけだ。どうせやるなら、おもしろおかしいものがよいと。プッとふきだしながらでも真剣に応えて、まっすぐに進んでいたこどもたち。
忘れることができない、大事なたからものである。


一方、数字や文字にまで色を感じる人もいる。
例えば、デジタル数字の2と5がランダムにばらまかれている図があり、一見してどこに2があるのかわからない。ところが共感覚者はたとえば2は赤、5は緑と、数字に色をみるので即時に2を判別し、しかも2が三角形を構成していることまで見抜くという。


文字についてはフランスの詩人、ランボーが「母音」という詩を書き、第一行目でA=黒、E=白、I=赤、U=緑、O=青と決めつけているが、随分突飛な話で、すべての共感覚者がこの母音と色の関連に共鳴するわけではないだろう。
言いかえればどの共感覚者も自分なりの母音と色の関連をもっているということだ。



Shin...2009・久しぶりの投稿。
昨年、ある専門家から聴覚・触覚がともに敏感といわれた。いつも手を使っているからか???
今後ともよろしく。

6/01/2008

ミュージシャンのアート




しばらく ご無沙汰でした。


ちょっと九州-東京間を行ったり来たり。
気分もアップUP-ダウンDOWNといったりきたり。


そんなときにご招待受けて渋谷のギャラリーへ。
昨年展覧会した処。


「 Terumasa and Susan HINO 」* Collaboration
  3rd Exhibition


トランぺッターの日野さんです。
5:30からパフォーマンス、レセプションあり
久々にジャズを聴き、音の迫力に魅せられ
ミュージシャンの描くアートをじっくりと拝見した。


やはり作品から音を感じ
その空間にしばし漂流して帰路へ。


ひとつひとつの顔には
なめらかな音、穏やかな音、力強い音
朝の顔、昼の太陽、夕方の静けさを感じ


ひたむきに描かれているその姿さえイメージでき
胸にずっしりとインパクトあるパワーをいただいた。


イメージ通りのとても明るい、また謙虚な方。
コラボしたスーザンさんは日野さんの奥様。


いいんじゃない?



Musician = Artist 



ARTを楽しむ仲間はみなアーティストだ。

要は、前を向いて切磋琢磨しているかどうか
やりながらその本質に気づいていくかどうか

いい刺激、気が廻りをグンと明るくした。
ありがとう、
日野さん、スーザンさん。
新しい作品をまた期待したい。

4/04/2008

John Lennon Museum - Yes -

先日仕事の帰りに新都心に降り、
ジョン・レノン・ミュージアム(John Lennon Museum)に立ち寄った。


ジョン・レノンは、昔からミュージシャンとしての一ファンというより
アーティスト、オノ・ヨーコとの関係性に対して何か強く魅かれるものがあった。


オノ・ヨーコは、当時アヴァンギャルド・フルクサス(Fluxus) の活動に参加し
ユニークなスタイルでロンドン、ニューヨークで展覧会を行っていたアーティストである。


ニューヨークでは、観客が彼女の衣装をはさみで切り取るパフォーマンス
「カット・ピース」や、言葉による作品「グレープフルーツ」などを発表した。
ロンドンのインディカ・ギャラリーでの彼女の個展の開催前日に訪れたレノンは、
梯子を昇った上に下げられた虫眼鏡で、天井に書かれた「 YES 」の文字を読む
という作品に惹かれたらしい。


ライトアップされた天井をのぞき込むとそこに... 「 YES 」。
表現したいもののスピリットに共感したのだろう。
それが 「 YES 」 でよかったといっている。
同じ作品がこのミュージアムにもあった。


1960年代は、アートのアヴァンギャルド(前衛芸術)全盛期。
ネオ・ダダ、コンセプチュアル・アートなどアーティストが反芸術性をも求め
多種多様な作品を発表している。
それぞれの生き方が表現性の垣根を取り外し、
新たな芸術共同体を生み、
新たなアートを夢想し、
創作活動に没頭でき、
自由に作品を発表できる土壌を整えた時代だった。


また、この時期の印象深いアーティストに
フルクサスメンバーの作曲家、ジョン・ケージがいる。
ご存知だろうか。


何をやっても、あるいは何もやらなくても良い
「4分33秒第二番(別名または原題は0分00秒)」は有名な作品だ。


実は、昔大阪にいた頃、
フルクサスのメンバーとコラボレーションしていた舞踊集団、
マース・カニングハム(contemporary dancers)とともに
活動、演出していた小杉氏と逢ったことがある。
彼は、ジョン・ケージのスピリットを受け継ぎ精力的に活動していた。
N.Yを拠点にし、
その後ある知人が彼のアシスタントを始めたと風の噂が流れてきた。
実験音楽を主流に活動を行い、
現代アートの渦のなかでツアーをともにし、
世界中を回っていた。
いまどこでどうしているだろうか。


ミュージアムを後にして
足早に過ぎていく時代の波とゆるやかな風を感じた。

3/23/2008

五感力をチェック!その2.




前回は五感の記憶をたどって
五感力を目覚めさせていくためのトレーニングをひとつ提案したが、
今度はもうちょっと掘り下げてチェックしてみよう。


いつもやっている習慣事(散歩、料理、買い物、ジョギングなど)から
最近体験したこと(スケッチ、旅行など)までなんでもOK!


「見る」-「聴く」-「味わう」-「嗅ぐ」-「触る」


ひとつのアクションに対して、5つの感覚をくわしくチェックしてみよう。
すでに食べてしまった今晩の料理は、よーく思い出して
あすの朝予定している散歩はこれからなので
意識して感じてみることができると思う。


五感力は無意識レベルで働いているため
引き出しをひとつひとつ開けていくことで
ちょっとしたささやかなことから
身体の優れた働きや機能があることを再発見したり
喜びや驚きが生まれるきっかけになったり
いままで以上に
感じることを楽しむ暮らしができるようになるのでは....。


例えば....
今日、私はスケッチ用のお花と玄関屋外におくお花を求めて
お花屋さんに行った。

店内にはBGMが流れ、よく聴いてみると
ホイットニー・ヒューストンの歌だった。(聴く)
個人的には「 For The Love Of You 」がいい(笑)。

色とりどりの春のお花を見ながら(見る)
広いお店をゆっくりと回り、
ただそこにいるだけで癒されて、奥で立ち止まってしまった。

とてもいい香りで立ち止まってしまったのだ。(嗅ぐ)
名前は忘れてしまったが、
お花の前でしばらく座り込んでしまった。

いつもの調子で
葉っぱを触る、土の感触(触る)具合を見る。
とても気持ちがいい。
これだけでストレスは吹き飛んでしまう。

植え替えをどうしよう、ああしようと
イメージしながらピックアップした。

喉が渇いたので缶コーヒーのみながら(味わう)
ふたたび店内をもう一周した。

まぶしい日差しをあびながら
花々が満足気に笑っているようで、
私自身とても気持ちいい時間を過ごした。

お花と
ホイットニー・ヒューストンと
コーヒーの組み合わせは
私にとって、それだけで至上の喜びだ。
他にはなにもいらない。(笑)


...と、このように感覚を引き出してみる。
そのときの印象が強くなり、
色彩も濃いものになるのではないだろうか。


感覚の引き出しは、たくさんあった方がいい。
なぜならば、五感力を鍛えることで第六感(インスピレーション)も
感じやすくなる、と思うからです。

以前「シックス・センス」(第六感/ Six Sense)というアメリカ映画があったが、
ご存知だろうか。
そこでは第六感を霊能力として描いていた。


いま潜在意識の分野で
第七感・第八感(六感を超越する感覚)の研究がなされているという。
非常に興味深いが、
科学者達が非科学分野の研究に乗り出し、どれだけのことが解明されるのか
わくわく、ドキドキするばかりだ。

3/16/2008

五感力をチェック!その1.




最近、子どももおとなも五感力が弱まってきていると聞いている。
いったい、どうなっているのか ... ?


指先でふれる活動が少なかったり、
食材をそのまま口にすることがとても少なかったり、
また、きれいな花の香りを嗅ぐこともないのだろうか?


おそらく、おとなたちの日頃の暮らし方の影響があるのだろう。
体験不足もよく聞く話だ。
旅行など遠くへ行かなくても、
家の近くで楽しんでできる方法はいくらでもある。
アウトドアパーティーやバーベキューなど ....
食べたり、飲んだりばかりじゃないが。(笑)
一から企画してできることは無限大にあるのだ。


そこで、五感力を目覚めさせていくためのトレーニングをやってみよう!
子どもからおとなまで、誰でもO.K.!
いままでの人生をちょっとふりかえり、


「 ● ● 歳のころ、あの場所で、こんな衝撃的な音に出逢った!」
「こんな不思議な匂い、嗅いだことがなかった!」
「きれいな色で盛りつけられた、あの料理は忘れられない!」


などと五感の記憶をたどってみてください。
さまざまな体験、経験を通してゆっくり育んできた五感の記憶は
しっかりとみなさんの感覚の引き出しにあたためられ
いつでも、どこでも
外へ解放されるのを待っているのでは?


海や山の思い出は、
その空気感とともに鮮明に思い出されることでしょう。


ちなみに、私が強く印象に残っているのは、
7歳のころ、家の近くの広い駐車場(だったか)をキャンバスに
いつも落書きをしていたのだが、
ちがう色、かたさの軽石を集めてはコレクションをし
白、ベージュ、グレーの石たちは
やわらかいものから堅いものまで
8種類もあった。
いつもそれを使い分けて黙々と描いては
叱られていたのをよく覚えている。(笑)
いまの私のルーツである。


さあ、思い出したらぜひ紙に書き出してみよう!
あなたの五感のルーツをたどって .... 。

2/28/2008

Creativity - 創造性




左に「 ART VTR 」を設置した。

アートに関する -1 Minute Painting- や -3 Minutes Painting-, またパフォーマンスもあっておもしろい。

こういった刺激は制作へのモチベーションを高める。

コンセプト、カラーリング、コンポジションのすべての計算があってはじめて素早く仕上げられる。


テクスチュアなどの技術は枚数をこなし、自分のものとなる。
1点集中.....見事な作品だ。
そのパフォーマンスへの積極性を見習おう。




表現とは、

(1) 内面的・精神的・主体的な思想や感情などを、外面的・客観的な形あるものとして表すこと。
   また、その表れた形である表情・身振り・記号・言語など。
(2) 外にあらわれること。外にあらわすこと。      

とある。/大辞林 第二版 (三省堂)より



それがうまく伝えられるか、

伝わっているか、

いかに伝えようとするか ....... がキィであろう。

がんばれ!! アーティストたち!!

2/24/2008

五感力を伸ばそう!




いま「生きる力」が求められている。


子どもにとっても、大人でも同じである。
それぞれの世代でそれぞれの「生きる力」が求められている。
では、「生きる力」とはどういうものであろうか。


精神面、また身体面から多角的にのぞくことができるだろう。


いろいろな作家、研究者が分析し、提唱しているが、
以前、わたしは子どもたちとともに
渋谷で「キッズ・ゲルニカ・プロジェクト」を立ち上げ、制作に臨んだ。
(-- キッズ・ゲルニカ・プロジェクト in Shibuya -- ※ 下記 HP 参照/ ※ 左記 ART-LINK にも掲載 )


http://www.kids-guernica.org/ja-index.html
http://www.kids-guernica.org/JapanesePage/Workshop-JP/No130Japan-JP.html
http://kidsguernicashibuya.blogspot.com/


テーマは「平和」、タテ3.8m * ヨコ8m の巨大な壁画制作。
ピカソが描いたゲルニカと同じサイズの壁画を子どもたちが世界の子どもたちに向けて " 平和 " を願い、独自で描くプロジェクトだ。


このアートプロジェクトを通じてみな貴重な体験をした。
子どもたちもおとなも(協力アーティストたち)様々な準備、制作の全体の流れを通じて、五感を駆使して確かな手応えを得たと思う。


アクリル絵の具の調合、そこにある匂い、色を重ねてできた凹凸の質感、テクスチュア。
また、巨大なキャンバスを広げて取り組んだワークショップ、全体構成。
普段は踏み入れたことのないキャンバスシートの上にみな " ハダシ " で踏み入れ、絵筆をとり、また手で描きこんでいく。
アーティストたちもみな想像以上の初めてのすばらしい体験となった。


当時、私は主宰していた「キッズ・アート工房」に於いて、積極的に五感力を高める体験企画を行なっていたため、
案の定、アートが大好きな子どもたちはのりにのって身体力、五感力を使い、すばらしく集中して懸命に自己表現へと向かっていった。


生きる力..... 日々五感力を高めることで精神面、身体面から十分鍛えることができると改めて思った。


私の捉える「五感力」とは、
すべての感覚の身体的中心が安定し、自己肯定がなされていることである。


人はある行為、アクションを通じて
自分の中の様々な身体の感覚と呼応しながら、自分自身を成立させている。
特に、この感覚はみな生まれつき万全に備わっているかのように思われがちだが、
様々な体験、経験の蓄積の上に鍛えられて伸びていくものである。


ゆえに感覚は
経験を通して育て、鍛え上げていくもの---この認識がまず重要であろう。


これからこの五感力について、
さまざまなキイワードを取り上げていくことにしよう。
お楽しみに。

1/24/2008

感性を解き放つこと





いま巷で話題のスピリチュアル・メッセージでお馴染みの江原さんが、以前こういわれていた。


「人生はみな何のために生まれてくるのか?」
「それは感動と体験を積み重ねるため。」


アートでも同じようなことが云える。
制作はテーマに基づきプロセスを経て完成するが、完成した「作品」は大事だが、作品がアートではなく、それをつくるプロセスや発想にこそアートの価値があるように思う。
以前、子どもたちを教えていた時コンセプトとして重要視していたことは、自己決定と自己表現だ。


自己決定とは、何を描きたいか。 
何をテーマとし、何に感動し、何を描きたいのか。自分の心を大きく広げて心の眼で深くみつめ、素材とともに決めていく作業だ。
すべて解き放たれた感性の声を聞きながら自分ですべて決めていく。これは、子どもたちのみならず大人も同様。
子どもたちは身体で感じたことを身体で思いっきり表現する。本能に従っているからダイナミック、真っ白でやわらかい心が表れてくる。だからおもしろい。


自己表現とは、文字通り自分にしかできない、人とちがうやり方、表現だ。
自然の中の木々を同じ場所で見ても、感じ方は人それぞれちがう。天から降りてくるインスピレーションも違うはずだ。
心の声に従って、色、かたち、線を自由自在に描いてみよう。
このプロセスが貴重な体験となる。感じたことが紙、キャンバスに表れ、徐々に変化してゆく。身体で覚える。このプロセスに価値がある。大事なのは、なにかにとらわれないこと。なにかに気づき、発見してゆくこと。


目標意識の高い人は、向上したい故に悩み、とらわれやすいが、そのような人はまず「感性を解き放つこと」
その先にアート表現のおもしろさ、愉しさが待っていることを忘れてはいけない。
そのプロセスや発想にこそアートの本質的な価値があるのだから。

1/14/2008

むかしむかしの美術作品




「なぜ、むかしの美術作品にはハダカの作品が多いのか?...」

以前、ある先生から質問を受けたことがある。
勿論、原語での説明は散々だったが、あえて内容をご紹介しよう。


■”真実” 語源説

ギリシャ語で「真理」や「真実」を表すことばを「アレーティア」というが、これは「忘却」など表すことばに反対の意味を表す接頭語をつけたもの。つまり、ギリシャでは真実とは「隠されていないもの」という意味を持っていて、衣や装飾で肉体を隠さないことが絵画などでも推奨されていたと考えられている。

■心身均衡説

キリスト教やイスラム、あるいは仏教でもそうだが、一般に世界の宗教は、”肉体” よりも ”霊魂” を重視する傾向がある。
ところが、ギリシャでは「精神」と「身体」のバランスが重視され、心の強さや美しさを競い合うだけでなく、身体の強さや美しさを競い合う習慣が存在した。たとえば、オリンピックもその考え方を受け継いでいる。
古代オリンピックでは、衣服をつけず、肉体の強さ、美しさを誇示していたようだ。

■”あれはハダカではない” 説

英語には naked と nude ということばがあるが、ギリシャの彫刻や絵画に描かれる「ヌード」は何も着ていない「ネイキッド」ではなく、特別な方式で描かれたものだから、とくに恥ずかしいものでもなかったという説もある。
それは西洋の伝統の中だけの話で、その外にいる私たちには十分恥ずかしいヌードだとは思うが、たとえばヨーロッパの街角で噴水などにヌード彫刻があっても「いやらしい」と感じないのは、そういうことのようだ。


何事もそうだが、文化的伝統についての説明は、単純なひとつの原因に帰することはできない。
様々な要因が重なり合って生まれたものだと考えるのが適切だろう。

1/04/2008

ART とは何か...




私がリスペクトする各作家の金言をご紹介しよう。それは生き方そのものであると思う。


●レオナルド・ダ・ヴィンチ
   あくなき厳密さ ( オスチナー トーリゴーレ )

●コロー
   芸術の美しさは、我々が自然から受ける第一印象に彩られた真実にある。

●アンドリュー・ワイエス
   自分は抽象画家だと思っている。リアリズムを通って強烈なロマンティックな空想をめぐらしている。

●マーク・ロスコ
   精神的な思考の共通性を目指すもの。人の内的世界にわき起こる空虚な思い、人間を超えた存在を感じるもの。

●ピカソ
   画家はあらゆる事象にいつも注意を傾けている、敏感な政治的な生きものである。   

●松村外次郎(彫刻家)
   思想家はみな破壊者であり、保守的な殻を破った人たちだが、大衆はついていった。それは社会性があったから。保守的、マンネリの中では思想は生まれません。芸術も同じである。

●安井曾太郎
   自分はあるものをあるがままに現したい。迫真的なものを描きたい。本当の自然そのものをキャンヴァスにはりつけたい。樹を描くとしたら、風が吹けば木の葉の音のする木を描きたいし、歩くことのできる道路を描きたい。車が通っている道を描くのだったら、車の通る道を描きたい。人の住むことのできる家、触れば冷たい川、湖水の深さまで現したい。人ならば、話し、動き、生活する人を描きたい。その人の性格、場合によっては職業までも十分現したい。
   (題材について)理想的、回顧的なものは排したい。そういうものは今の自分には画家の道楽のように見える。自分はどうしても現代の生活文化の中に取材したい。...つまり、自分は物質的に今の時代をそのまま写したいのだ。画室内の絵を外の景色や出来事の連続にしたいのだ。 -「私のリアリズム」より-

●浅井慎平
   画家は自分の心の中をくぐってきたものを描いてはじめて人を感動させることができる。
   

スケッチクラブ
























●北アルプス / 大出のつり橋から望む白馬連山
* * * * * * * * * * *


現在、アート講座の講師を行なっています。

皆エネルギッシュで個性あふれる方ばかり....

まさしく体育系のクラスでおもしろおかしく展開しています。

デッサン、水彩、パステルと描き始めたら止まらない...

みな初心者なのですが、研究心にあふれ、

どんどんどんどん上手くなっています。

今度パステル講座が始まります。

楽しみ楽しみ.....。

この写真は昨年のスケッチツアー、北アルプスへ。

いろいろ行きましたねえーー。

ね、みな真剣でしょ!

ふくろう....福朗  福6  不苦労  梟  URAL OWL



あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろなことにチャレンジしながら

あちこちの壁にぶつかりつつ

走りっぱなしの1年でした。

今年はますます自然体で

周りの方々に感謝して

Only one を目指し

前半は全速力で

後半はマイペースで

前進していこうと思っています。

ふくろうのように .... 猛々しく、愛らしく。

しかし、よく男性に間違えられるからなぁ... ha ha ha ...

ま、いいや。

10/08/2007

COMPOSITION OF LIFE


*
*




*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*



前 田 信 ■ 生 成 展
COMPOSITION OF LIFE


2007.9.29 - 10.5 渋谷・ぎゃらりーおくむら にて個展開催。

洋画(油彩、ガッシュ等)中心に人間、自然など生の構成をテーマに

新作約30点を展開、好評のうちに終了いたしました。

ご多忙の中、ご高覧いただきまして誠にありがとうございました。